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ヨーロッパのブランド食器の世界

洋食器とゆかりの深い人物 18世紀

ジョサイア・ウェッジウッド|「イギリス陶芸の父」と呼ばれた産業革命の申し子

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陶芸職人一家に生まれ育った天才

世界に名立たる陶磁器ブランド「ウェッジウッド」社を立ち上げたジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)は、イングランドのスタフォードシャー、その中でも「イギリスの陶器産業の里」と呼ばれるストーク・オン・トレント(Stork-on-Trent)の、代々陶器職人を務める陶芸一家に生まれ育ちました。

出典:Wikipedia(ジョサイア・ウェッジウッド)

ちなみに、ジョサイアは13人兄弟の末っ子!

現代の感覚からすると、信じられないくらいの大家族ですが、当時のイギリスでは1組の夫婦が5-20人くらいの子供をもうけるのが普通であったそうなので、まわりの友人も同じような家族構成であったのかも知れないですね。また、子供も「小さい大人」として、働けるだけ働くのが普通の時代、ジョサイアも兄の指導のもと14歳ころから作陶をはじめたと言われています。

ただし、ジョサイアを並みの陶芸家とは異なる存在とした出来事が、11歳の時に起こりました。その当時、流行していた天然痘を罹ったために、右足が不自由になってしまったのです。

陶芸家にとって、ろくろを回すための右足が使えなくなることは、生死にかかわる問題。しかし、こういったピンチをチャンスに変えてしまうのが、天才の天才たるゆえん。彼は自分では陶器を製作することができなくなってしまったものの、むしろ頭をつかって陶器の研究に没頭したのです。そして28歳で、あの「ウェッジウッド」社を立ち上げてしまいます。

ジョサイアの探究心は、その子供たちにも引き継がれたようで、長女スザンナは「種の起源」で進化論を発表したチャールズ・ダーウィンの母親となり、事業を継いだ次男ジョサイア2世は、牛の骨灰を混ぜた陶器「ボーン・チャイナ」を完成させるなど、その家系は陶芸家というよりも、科学者の一家といった雰囲気ですね。

出典:Wikipedia(チャールズ・ダーウィン)

 

「クリームウェア」が認められ女王陛下の陶工に!

ジョサイアが、ウェッジウッド社を立ち上げて早々に取り組んだのは、白い陶磁器の製造でした。

この当時の陶磁器といえば、まだまだ、東洋(中国や日本)から輸入した高級品。なかでも、白い器はその製造に必須のカオリンという鉱物がヨーロッパでは入手できず、白色の器を作り出すのは大変な困難でした。

ジョサイアはこの難題に果敢に挑戦したのですが、ウェッジウッド社の設立からわずか4年後の1763年に、なめらかな乳白色が特徴の硬質陶器「クリームウェア」を完成させます。

出典:Wikipedia(クリームウェア)

この陶器は、国王ジョージ3世と、その妻シャーロット王妃に大変気に入られ、ウェッジウッドは王室御用達の陶工として「Potter to Her Majesty(女王陛下の陶工)」を拝命し、陶器は「クィーンズウェア」と命名することを許されたのでした。

出典:Wikipedia(シャーロット王妃)

 

古代ギリシア・ローマへの憧憬が生んだ「ブラックバサルト」と「ジャスパーウェア」

白色の陶磁器を作り出すことに成功したジョサイアでしたが、立ち止まることはありません。ちょうどこの頃、天然痘で悪くした右足を膝下から切断しなくてはならない事態に陥りますが、こういった不幸をむしろ前進するエネルギーに変えているかのようです。

18世紀のヨーロッパといえば、イタリアのポンペイ(火山噴火で当時の生活そのままに地中に埋もれたローマ時代の都市)など古代遺跡の発掘が相次ぎ、それまでのバロックやロココといった美術様式が過剰に装飾的・軽薄と敬遠され、ギリシア・ローマ時代の荘重な様式に立ち返ろうとする「新古典主義」が隆盛となった時代でした。

出典:depositphotos.com(ポンペイの遺跡)

ジョサイアもこの流れに乗り、古代への憧れを形にしようと試みたのです。

まずは、故郷の地で古くから作られていた「エジプトの黒」と呼ばれる陶器を改良し、1768年に「ブラック・バサルト」(黒い玄武岩のような炻器)を作り出すことに成功したのです。ジョサイアは、“The Black is sterling and will last forever.”(黒は純粋であり、永遠である。)と言う言葉を残しているように、彼の「ブラック・バサルト」に対する愛着と熱意は相当なものだったようです。

出典:Collecting Wedgewood.com(ブラック・バサルト)

また、この頃、ストーク・オン・トレントの近く、ニューカッスル・アンダー・ライム(Newcastle-under-Lyme)とハンレー(Hanley)の中間の地に工場を移転し「エトルリア工場」と名付けます。エトルリア(Etruria)は、紀元前8-1世紀頃のイタリア中部の古代都市の名前です。エトルリア人は、高い建築技術をもち、その技術はローマ建設にも活かされ、当時としては珍しく男女平等の考えを持つ民族であったと言われています。この工場の名前からも、ジョサイアのヨーロッパ文明の源流となった古代ギリシア・ローマ時代への憧憬が見て取れますね。

「クリームウェア」の人気もかなりなものでしたが、「ブラック・バサルト」の人気はそれを凌ぐものだったと言われ、イギリス国内からのみならず世界中から購入希望者が集まってきたと言われています。

しかし、ここでジョサイアの陶磁器への探求が終わったわけではありませんでした。「ブラック・バサルト」を完成後も研究と実験を幾度となく繰り返し、1774年には、「ジャスパーウェア」(ジャスパーは、和名で碧玉とよばれ、不純物を含む石英が不純物ゆえに複雑な紋様を見せる宝石)を完成させるに至ります。

出典:Wikipedia(ジャスパーウェア)

「ジャスパーウェア」は、古代ギリシャや古代ローマのモチーフやカメオなどの装飾模様をモチーフにした気品ある陶磁器で、今なお高い人気を誇る「ウェッジウッド」社の人気アイテムの一つとなっています。

この手法を用いた代表作としては、古代ローマで作られたカメオ(ガラス)作品の再現である「ポートランドの壺」が挙げられます。ジョサイア・ウェッジウッドは、古代ローマ時代に作られたローマンガラスのオリジナル作品に衝撃を受け、所有者であったポートランド公爵夫人より壷を借り受け、完璧なレプリカを作り上げようと奮闘しました。

出典:Wikipedia(ポートランドの壺)

 

産業革命の申し子

このように、ジョサイアの作陶にかける探究心は並々ならぬものがありますが、それ以上に、ウェッジウッドを他の製陶業者とは別格の存在ならしめたのは、彼の革新的な経営スタイルでした。

イギリスで産業革命がおこったのは、18世紀半ば、ストーク・オン・トレントからもほど近い、バーミンガムでのことであり、ウェッジウッド社の発展はまさにこの時期・場所であったがゆえ、とも言えるでしょう。

実際、エトルリア工場では、他社に先駆けて、始業ベルと入退出管理による就業時間の管理、飲酒の禁止(!)を含む従業員の安全・健康管理のほか、効率改善のための専門分化した製造プロセス、コスト低減を目的とした原価計算や品質管理の仕組みを導入しています。

マーケティングの分野でも、当時としては珍しく倉庫一体型のショールームをロンドンに開設したほか、商品販売用のカタログを作成したり、数多くのデザイナーとコラボレーションすることで製品デザインを改善したりなど、まさにブランド・マネジメントの先駆けといった企業活動を取り入れています。

また、奴隷貿易廃止の機運が高まるなかで、ジョサイアは自費で廃止運動に参加するなど、今でいうところのCSR(企業の社会的)活動も積極的に取り組んでいます。

ここだけ読むと、まるで現代の企業活動のようですが、これだけのことを18世紀から取り入れていたとは、その革新性には驚かされるばかりです。人間万事塞翁が馬、といいますが、ジョサイアの場合は、右足が不自由になりひとりの陶器職人として道を究めることができなくなったことが、反対に、製品開発や経営分野での特異な才能を花開かせた、ともいえるのかも知れませんね。

 

参考資料

ウェッジウッド社ホームページ

Llewellynn Frederick W Jewitt (著), “The Wedgwoods: Being a Life of Josiah Wedgwood, with Memoirs of the Wedgwood and Other Families and a History of the Early Potteries of Staffordshire” (2017)

Wikipedia

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