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ジョージ4世|「スポード」にロイヤル・ワラントの称号を与えた、悪名高いイギリス国王

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ジョージ4世はなぜそんなに悪名高い?

ジョージ4世(1762-1830)は1762年、国王ジョージ3世とその妻シャーロットの長男として生まれました。

出典:Wikipedia(ジョージ4世、リチャード・コズウェイ作。1780-1782年頃)

若い頃から、ハンサムで教養も深く、「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたこともあるほど魅力的な人物で、ジョージ4世の在位は1820年以降10年間と短いものの、1811年からすでに摂政王太子として病気の父王に代わって政務を行っていたため、実質20年近く政治に関わり、その治世は摂政時代(Regency Period、リージェンシー・ピリオド)として、美術・建築史においては優雅で気品あふれる様式が花開いたと言われます。

その一方で、浪費や放蕩が絶えないジョージ4世はいつも両親の悩みの種で、特に持病の精神疾患を抱える繊細な人物であったという父王ジョージ3世は彼にひどく悩まされたこともあってか、後に病気を悪化させ、政務を行えない状態になってしまったほどです。また、この時期のイギリスは、ナポレオン戦争の最中にあって政治的なリーダーシップを発揮できないジョージ4世に、国民が失望したのもやむを得ないことかもしれませんね。

親不孝だったり、政治を顧みないだけでなく、ロンドンのパブを飲み歩き、競馬に入れ込んで借金を重ねるだけで飽き足らず、自らロイヤル・アスコット開催(イギリス王室が主催する競馬催事)を創設するなど、派手好きで浪費が激しいジョージ4世は国民から不人気で、王室の名声を失墜させたとまでいわれるほど…

さらに、ジョージ4世がそこまで嫌われてしまった理由には、彼が女性関係のスキャンダルにも事欠かない人物であったことも挙げられます。

若い時には詩人で既婚のメアリー・ロビンソンに夢中になったものの、心変わりし、後に激怒したメアリーが、ジョージ4世から贈られた手紙などを証拠に裁判を起こすという事件にまで発展!

出典:Wikipedia(メアリー・ロビンソン、トマス・ゲインズバラ作)

さらに、マリア・フィッツハーバートという平民の女性とは結婚を希望しましたが、当時の王位継承者はカトリックの配偶者を持てなかった(イギリス国教会はプロテスタントのため)にもかかわらず、マリアはカトリックであったため、これは大問題に…結婚には王や議会の同意が必要でしたが、同意してもらえる見込みはなく、結局、極秘で結婚してしまいますが、もちろん公的には認められず。ちなみに、ジョージ4世は距離を置いた時期もあったものの、その後も生涯マリアを愛し続けたともいわれています。

出典:Wikipedia(マリア・フィッツハーバート)

 

仕方なくドイツ王女と結婚…しかし夫婦仲は初日から最悪?!

彼の年収が現在の価値で約12百万ポンド(約18億円)に対して、借金が約60百万ポンド(約90億円)もあったそうですから、桁違いの浪費ぶりですよね。

これを見かねたジョージ4世を見かねた父王は、借金を棒引きする代わりにドイツ王女キャロライン(ドイツ名はカロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク)との結婚を迫ります。二人はいとこ同士の間柄でしたが、実際に会ったことはなく、肖像画を見て結婚を決めたのだそう…

出典:(c) Paintings Collection; Supplied by The Public Catalogue Foundation(キャロライン王妃)

実際、キャロラインは美しかったようですが、大変体臭がきつい女性であったことでも有名で、ジョージ4世は初日からうろたえてしまったのだとか!ちなみに、彼女の体臭がきつかったのは風呂嫌いであったからといわれていますが、そんな彼女もまた、想像以上に太っていたジョージ4世に驚いたのだそう…

出典:Wikipedia(皇太子時代のジョージ4世の風刺画、1792年)

がっかりしたジョージ4世は結婚を取りやめようとしたともいわれますが、結局、二人は1795年に結婚することとなります。そんな二人の結婚生活は上手くいくはずもなく…翌年に長女が誕生するやいなや、ジョージ4世は愛人とよりを戻し、別居を宣言して出ていってしまいます。

一方のキャロラインも、王室では大変冷遇され、生まれたばかりの娘は早々に取り上げられてしまい、仕方なくヨーロッパ旅行に出かけることに…ここまではキャロラインが気の毒ですが、その旅行中はキャロラインも大変派手な生活を楽しみ、お互いに愛人を持つ夫婦だったようなのでお互い様といえそうな気もしますね。

しかし、父王であったジョージ3世が亡くなり、ジョージ4世がいよいよ国王として即位というとき、ここで国民からの同情が一気にキャロラインに集まり、ジョージ4世が悪名高い国王といわれるようになってしまう事件が起こります。

ヨーロッパ旅行に出ていたキャロラインも、夫が即位すると知ると、彼の妃として帰国を決意し、戴冠式の会場であったウェストミンスター寺院に駆けつけました。ところが、キャロラインを心底嫌っていたジョージ4世は、彼女の出席を断固拒否!会場から彼女を完全に締め出してしまったのです。

これが精神的にこたえたのか、キャロラインはこの日より病気になり、その後まもなく亡くなってしまいます。この死には謎も多く、毒を盛られたのだと噂する者もいて、実際彼女も病床で"毒を盛られた"と訴えていたのだそう…しかも、すでに若くして亡くなっていた一人娘の近くに葬ってほしいという彼女の遺言も聞き届けられることはなく、故国で埋葬されています。

この一件に加え、キャロラインと離婚するため、結婚を無効にできる法案を成立させようと画策するなど、とことん妻を嫌い抜いたジョージ4世…悪名高い国王として有名になってしまったのも無理はないかもしれませんね…

 

ジョージ4世の知られざる功績とは?!

1830年に亡くなったときでさえ、誰も彼の死を惜しまなかったといわれ、国民から嫌われたジョージ4世ではありますが、その教養の深さと趣味の良さを通じて、イギリスにおける芸術や学問、建築などの発展には大きく貢献しています。

陶磁器に関しては、「ボーン・チャイナ」を生み出し、成長途上にあったスポード(Spode)に、ロイヤル・ワラント(英国御用達)の称号をあたえ庇護しています。

出典:スポード公式サイト(ブルー・イタリアン)

また、芸術面では、若い頃に自身も通っていたという王立美術院のパトロンとなって経済的な支援を行ったり、暗い部屋にシャンデリアを贈る、毎年の晩さん会へは進んで出席するなど、その発展に何かと尽力したようです。しかも当時の摂政として、海外から来たお客様には自ら案内できるほどに院内を把握していたのだとか!

さらに、父ジョージ3世をはじめ、これまでの君主によって集められてきた貴重な書物の管理方法について疑問を持ったジョージ4世は、これを政府の管轄である大英博物館に託すことを決め、その結果、大英国立図書館が誕生しました。

今ではロンドン観光の中心となるリージェント・ストリートを建築家のジョン・ナッシュに命じて整備したのもジョージ4世ですし、貴族から買い戻して整備したリージェンツ・パークなど、ジョージ4世の即位前の呼び名である「摂政(リージェント)」が名前の由来となっている名所も多く残っています。彼の治世には銅像も多く建てられたため、今日でもトラファルガー広場に立つ彼の騎馬像を見ることができます。

出典:Wikipedia(トラファルガー・スクウェアのジョージ4世騎馬像)

派手好きで知られ、当時はたびたび浪費を非難されたジョージ4世でしたが、ウィンザー城に一流の華やかな飾りつけを施し、国賓を迎えられる素晴らしい宮殿に仕立て上げたのも彼ですから、決して悪い面にばかり働いたわけではなかったといえるでしょう。

そして、宮殿といえば、今でこそ英国王室公式の宮殿であるバッキンガム宮殿の大規模な再建を行ったのもジョージ4世です。バッキンガム宮殿は、もともとは私邸であり、それを買い取ったのは父ジョージ3世でしたが、ジョージ4世はこちらもジョン・ナッシュに命じて大規模な改修を施し、それまでのルネッサンス様式からネオクラシック様式の荘厳な宮殿へ様変わりさせました。

出典:depositphotos.com(バッキンガム宮殿)

しかし、この改革は1825年から始まり、12年もの歳月がかかりましたので、ジョージ4世がその完成した姿を見ることは残念ながら叶いませんでした…こればかりはなんだか気の毒ですよね。

その後、1837年に即位したヴィクトリア女王が住み始めて以来、バッキンガム宮殿は英国の公式な宮殿となっています。

ちなみに、ヴィクトリア女王といえば大英帝国繁栄の象徴的な女王として有名ですが、彼女はジョージ4世や、彼の弟であり彼亡き後に王位を継いだウィリアム4世の弟の娘、つまり彼らの姪にあたります。そのため、もしもジョージ4世と妻キャロラインの夫婦仲が良く、たくさんの子どもに恵まれていたらヴィクトリアの出る幕はなく…歴史は大きく変わっていたのかもしれませんね?

 

参考資料

Wikipedia

スポード公式サイト

バッキンガム宮殿公式サイト

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