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クレイユ、モントロー|イギリス風のフランス陶器「クレイユ・モントロー」を生んだ2つの街

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モントロー ― ウェッジウッドに負けないものを

モントロー(Montereau)は、フランスの首都パリの南東郊外に位置する人口2万人ほどの小さな街です。この街の正式名称は、モントロー=フォール=ヨンヌ(Montereau-Fault-Yonne)といい、その名が示すとおり、ヨンヌ川がセーヌ川に落ちかかる(フォール)、ふたつの川のとの合流地点にあり、交通の要所の活気ある街として栄えてきました。

出典: Tourisme.fr (モントロー)

街の代表的な建物としては、12世紀から16世紀にかけて築かれたノートルダムとサン・ルー参事会管理聖堂は、ゴシック様式とフランボワイヤン様式、ルネサンス様式の歴史ある建造物です。また、街にかかる2本の橋の間には、皇帝ナポレオンの騎馬像があり、1812年のロシア遠征に失敗して以降、ヨーロッパ各国の反抗に苦しめられパリへの撤退戦を続けていた皇帝の最後の勝利(1814年2月18日)を記念して建てられ、街のシンボルともなっています。

出典: Wikipedia (ナポレオン像)

そして、モントローの街に欠かせない象徴はやはり、陶器美術館。この美術館には、1749年にモントローに陶器工場が作られ、その後クレイユ(Creil)と合併するまでの2世紀に渡る400点以上もの陶器が展示され、観光名所となっています。

出典: Seine et Marne Attractivite (陶器美術館)

モントローの陶器製造は、1720年にジャン=ロノン(Jean Ronon)という陶工がこの地に来たことが始まりですが、透き通るような白地に光沢のある鉛釉が特徴のファインアンス・フィン(faïence fine、良い陶器=磁器のような陶器)は1749年、フランソワ=マゾワ(François Mazois)の登場を待たなければなりません。

彼は、英国ウェッジウッドが生み出した“クイーンズウェア(Queen’s ware)”と呼ばれる錫釉陶器(Tin-glazed earthenware)に負けないものを、という目的のもと工場を作ります。

出典: Victoria and Albert Museum (モントロー陶器、1810頃)

この工場は、その後イギリス人オーナーの手にわたり、また、同じくイギリス人でフランス製陶界で活躍していたクリストファー・ポッター(Chrisopher Potter)の銅版転写技術(Transfer printing)と競い合うことで、モントローでの陶器づくりは、これまでの職人技によるものから、工業的なものへと変化、発展していきます。

出典: Wikipedia (銅版転写によるモントロー陶器、1830頃)

しかし、1819年には、ライバルであったクレイユ(Creil)により、モントローの陶器製造工場は買収され、1840年から1895年までクレイユ窯と、1920年から1955年まではショワジー・ル・ロワ窯(Choisy-le-Roi)と共同で作られてきましたが、1955年、その歴史を閉じることとなりました。

 

クレイユ ― イギリス陶器職人が発展に貢献

クレイユ(Creil)は、パリ北部に位置し、パリからは約50キロ、モントローは約140キロの場所にあります。中世には王家の居城などもありましたが、クレイユの街の本格的な開発は19世紀になってから。パリに近い事もあり、1844年に開発された鉄道、陶器産業、金属加工業で発展、また20世紀には自動社工業が置かれています。

史跡の集まる場所はオワーズ川の右岸のサン=モーリス島。ガレ=ジュイエ美術館(Musée Gallé-Juillet)は、丸天井で有名なシャルル5世のお城だった場所が美術館となっており、中世の雰囲気を保ちつつ、クレイユ陶器のコレクションを守る場所となっています。

出典: La Ville Creil (ガレ=ジュイエ美術館)

クレイユでの陶器製造は、1797年、パリのガラス商人が工場を作ったものの、これは1年あまりで閉鎖。しかし、ほどなく新しい工場が設立され、陶器産業が発展していきます。

モントローと同様に、ここクレイユでもイギリス人の陶芸職人が経営に参加し、その発展に大きく貢献しています。そのひとりジャック・バンネル(Jacques Bagnall)は、1762年にイギリス陶器産業の中心地ストーク・オン・トレント(Stoke-on-Trent)のベーズレム(Burslem)に生まれ、1784年からはフランスで英国陶器工場の造形師として活躍します。

その後は、クリストファー・ポッター(Chrisopher Potter)がシャンティイで経営していた陶器工場の責任者を経て、1802年にクレイユの工場経営に参加します。クレイユ陶器の特徴は、ウェッジウッドや他の英国陶器窯で流行していた新古典主義の様式を模したものでした。

出典: Victoria and Albert Museum (銅版転写によるクレイユ陶器、1808-1818)

出典: Victoria and Albert Museum (砂糖壺、クレイユ陶器、1819-1827年)

 

「クレイユ」と「モントロー」の出会いと発展、そして閉鎖

1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収、その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。

ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。

「クレイユ・モントロー陶器」は、銅版転写技術による装飾印刷が特徴です。金属酸化物を含む透過できるインクを用い、特別な紙に写し、銅板に刷られた板にします。この技術を用い、陶工1人で1日に約200から250もの皿を作り出すことができたそうです。

出典: Victoria and Albert Museum (多色刷りの銅版転写、クレイユ・モントロー陶器、1868年)

装飾の模様は、イギリス風の新古典主義の影響を受けつつ、ジャンルやシーンにより神話や文学、美術など姿を変えていきました。一方で、フランスらしさを感じさせる8角形のオクトゴナルプレートや、中国風のシノワズリなども有名です。また1870年代にはジャポニズムの到来により、日本の美術をもとにしたものも多く作られています。

出典: Victoria and Albert Museum (オクタゴナルのクレイユ陶器、19世紀初め)

出典:Victoria and Albert Museum (シノワズリのクレイユ・モントロー陶器、19世紀半ば)

出典: Victoria and Albert Museum (ジャポネズリのクレイユ・モントロー陶器、1866-1867年)

その後はアールヌーボーの到来により、その影響を受けたものが作られます。1895年にはクレイユの工場は火事で閉鎖となり、1920年から1955年まではショワジー製作所で共同で作られました。しかし、1955年、永久に工場は閉鎖されることとなります。

時代の流れに翻弄されながらも、クレイユの陶器とモントローの陶器のそれぞれの特徴を合わせ持ち、時代とともに生きたクレイユ・モントロー陶器。それぞれの時代で背景・趣気が異なり、コレクションとして非常に興味深いものが多く、日本でも人気があります。ぜひそれぞれの時代に思いを馳せながら、作品を眺めて見てください。

 

参考資料

Tourisme.fr

Infofaience.com

Le Magazine de Proantic

Wikipedia

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