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ポンパドゥール夫人|「セーブル」を創成し、宿敵オーストリアとの同盟を実現した、フランス国王ルイ15世の公妾

投稿日:2018年2月5日 更新日:

ポンパドゥール夫人は実はブルジョワ階級の出だった?!

ジャンヌ・アントワネット・ポワソン(Jeanne-Antoinette Poisson、1721-1764)、これがポンパドゥール夫人の誕生名です。

出典: Wikipedia (ポンパドゥール夫人、1755)

彼女は、資産家の金融業者フランソワ・ポワソンの娘として生まれましたが、生物学上の父親は、徴税請負人(国の委託を受けて税金の取り立てを代行。やり方次第では大きな利益を得ることが可能な職業)であったシャルル・ド・トゥルヌエムではないか、と言われています。実際、フランソワ・ポワソンが汚職事件に巻き込まれパリを追放されてからは、シャルル・ド・トゥルヌエムの庇護を受けています。

出典: Wikipedia (シャルル・ド・トゥルヌエム)

ポンパドゥール侯爵夫人が生きた時代のヨーロッパは、イギリスとフランスが2大強国として、ヨーロッパでの主導権争いと植民地の獲得競争が激しくなっており、文化面ではルイ14世の重々しく厳格なバロック様式から、明るく優雅なロココ様式へと移行した時代にありました。

ポンパドゥール夫人は、平民という身分ではあったものの資産家の出身であり、貴族以上の教育をうけ豊かな教養を身につけ、19歳の時にシャルル・ド・トゥルヌエムの甥にあたる、徴税請負人のシャルル=ギヨーム・ル・ノルマン・デティオールと結婚します。

出典: Wikipedia (シャルル=ギヨーム・ル・ノルマン・デティオール)

そこから、、自分の美貌と頭の良さ、センスの良さをフル活用して、時の国王ルイ15世に取り入り、立身出世を果たしてくのです。

 

ルイ15世の公妾となるまでの、したたかな戦略

ディオールに嫁いでから、彼女はルイ15世の姿を頻繁に目にするようになります。ルイ15世は、狩猟の時期になると、デティオールのシャトーに来ていたのです。

出典: Wikipedia (ルイ15世)

これを利用しない手はないということで、ルイ15世が偶然自分の姿を見かけるように仕向けたのです。

狩猟に行くのに通る小道でばったり鉢合わせるようにしたりするなど、ルイ15世が行く先々で自分の姿を目撃できるように計らったのです。その結果、「デティオールの領地には、森の妖精がいる」という噂までたち、ルイ15世もこの妖精を大変気に入ったのでした。ただし、この時のルイ15世には、マリー・アンヌ・ド・マイイ=ネール(Marie-Anne de Mailly-Nesle、1717-1744)という公妾が既にいたため、印象を残すのみ。

出典: Wikipedia (マリー・アンヌ・ド・マイイ=ネール)

その後、ポンパドール夫人は2人の子供を出産しますが、マリー・アンヌが病没した翌年の1745年、ルイ15世の王太子ルイ=フェルディナンの結婚を祝う仮面舞踏会がヴェルサイユ宮殿で開催され、これに参加します。

この際の、ポンパドゥール夫人の仮装は、狩りの女神ディアナ。ディアナといえば、ローマ神話に出てくる「狩りと貞節と安産の女神」ですが、この時、人妻で子供もいたポンパドゥール夫人がディアナの仮装をして、ルイ15世の気を惹くというのは、あざといような、でも、感心するような、、、

出典: Wikipedia (ディアナの仮装をしたポンパドゥール夫人)

いずれにしても、今度こそルイ15世のハートを射止めます。

しかし、貴族ではないポンパドゥール夫人を公妾にすること対して、フランス宮廷内で反対の声が大きく、苦慮したルイ15世は、男の後継者が絶えていたポンパドゥール侯爵家の称号をあたえます。こうして、ポンパドゥール侯爵夫人は、ルイ15世の「公妾」として、当時のフランス女性としては最高の出世を遂げたのです。

ちなみに、「公妾」はただの愛人ではありません。キリスト教文化圏では、結婚は神が認めた神聖なものとして、「側室」が認められていないため、愛人に対して特に「公妾」という制度を設けて、大きな権力を与えたものです(このあたりの事情は、同じくルイ15世の公妾となった、デュ・バリー夫人のページでも詳しく言及していますので、そちらをご覧ください)。

この時、彼女が発した言葉は、「私の時代が来た!」。実際に、その後のポンパドゥール夫人は、ルイ15世の陰でフランス宮廷の社交、政治を牛耳ることになります。

 

公妾になってからも、国王に王妃に対してすごい気遣い

ポンパドゥール夫人は、もともと体が弱かったこともあり、ルイ15世の夜の相手があまり好きではなかったようです。しかし、ここからが彼女の凄いところ。

自分が相手をしない代わりに、「鹿の園」(Parc-aux-cerfs)という娼館に、ルイ15世好みの女性を集めて性的な奉仕を提供し、自分にとって替わる愛人があらわれないよう目を光らせていました。ルイ15世とその女性たちの間に生まれた子には、年金を保障し、男子は将校の地位を、女子には良縁をあっせんするなどして、女性を集めていたようです。

また、ポンパドゥール夫人は、正妻である王妃マリー・レクザンスカ(Marie Leszczyńska、1703-1768)への配慮も完璧でした。ブーケを送り、食事に招待し、王妃の部屋を贅沢なインテリアに改装し、王妃が慈善事業でつくった負債をルイ15世に払わせたりもしていました。

出典: Wikipedia (マリー・レクザンスカ)

ところで、ポンパドゥール夫人の夫シャルル=ギヨームは、妻が王の妾になったことに対して、どう思っていたのでしょうか。

ルイ15世は、ポンパドゥール夫人を公妾に取り立てるに際して、シャルル=ギヨームに対し、オスマン帝国大使の地位を申し入れますが、彼はこれを拒否。フランス一有名な「妻を寝取られた夫」となってしまった彼は、妻の裏切りを生涯許さず、彼自身はパリで多くの女性と関係し、何人かの私生児を産ませます。ポンパドール夫人の臨終の際にも、健康上の理由で立ち会いを拒否し、晩年は、踊り子と結婚し、シャンティイ近くの田舎で静かに余生を終えます。

ポンパドール夫人は自身の死の直前には、「私が死んだ後は、洪水になれ!」と言い残して亡くなったそうですが、この妻の気の強さに対して、元夫はちょっと気の毒ですね。ポンパドゥール夫人の華々しい人生の陰には、元夫の悲しく、孤独な人生があったのです。

 

外交でも華々しく活躍したポンパドゥール夫人と陶磁器セーブル

晴れて公妾となったポンパドール夫人は、後にマリー・アントワネットが愛したヴェルサイユ宮殿内の「プティ・トリアノン」、現在はフランス大統領官邸となっている「エリゼ宮殿」など、金に糸目をつけず、各地に豪華な邸宅を立てさせ、また、当時フランスで花開きつつあったロココ芸術の支援者としても大きな貢献をします。

出典: Wikipedia (プティ・トリアノン)

出典: Wikipedia (エリゼ宮殿)

しかし、彼女の関心は文化・芸術面にとどまらず、やがては、政治に関心が薄いルイ15世に代わって、フランスの外交政策にも大きな影響を与えていくことになります。

特に、「3枚のペチコート作戦」と呼ばれ、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザベータ女王と組んで、強大化しつつあったドイツ(プロイセン)に対する包囲網を形成した手腕は、フランスにとって長年の宿敵であったオーストリアとの和解も意味し、外交革命といわれるほどの画期的な成果でした。この和解の象徴として、後にオーストリアからルイ16世のもとに嫁ぐのが、フランス革命で悲劇的な最後を遂げるマリー・アントワネットです。

出典: Wikipedia (マリア・テレジア)

また、この外交革命においても、大きな役割を果たしたものがありました。それが、フランス高級陶磁器のセーブルです。

この当時の陶磁器といえば、ドイツのマイセンや、オーストリアのアウガルテンなどが主流で、フランスの宮廷でも多く用いられていました。全て海外のものというのが許せなかったのでしょうか、ポンパドゥール夫人は、なんとしてもフランス独自の高級陶磁器を作り出したいと思ったのです。

そして、その願いを実現します。セーブル焼きの陶磁器を製品化することに成功したのです。セーブル焼き独特のピンク色は、「ポンパドゥールのピンク」と呼ばれ、ポンパドゥール夫人は特に愛用していたそうです。現在では、色の調合法が失われているため、幻の色とも言われています。

出典:The Metropolitan Museum of Art.Met(ポンパドゥール・ピンクのセーブル陶磁器)

ルイ15世もセーブル焼き陶磁器をいたく気に入り、友好の証にと他国に贈呈もしていたんです。例えば、1757年に調印したヴェルサイユ条約で同盟国となったオーストリアには、1758年にセーブルの「花輪飾り」シリーズの食器185点をオーストリア女帝マリア・テレジアに献上しています。

出典: Christie's (セーブルの花輪飾りのプレート)

ポンパドゥール夫人の愛したセーブルの陶磁器は、フランス宮廷の食卓を輝かせるためだけではなく、他国との友好を持続させるためにも用いられたのです。

 

参考資料

「ポンパドゥール夫人―ロココの開花と革命の予兆」、デュック・ド・カストロ(著)、小宮正弘(訳)、河出書房新書(1986)

Wikipedia

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