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アウガルテン|マイセンに次ぎ古い歴史をもつ、ハプスブルク家の皇室磁器窯

投稿日:2017年12月6日 更新日:

アウガルテンは、その正式名称を「ウィーン磁器工房アウガルテン(Wiener Porzellanmanufaktur Augarten)」といいます。

マイセンに次ぎ古い歴史をもち、神聖ローマ帝国の皇帝を世襲したハプスブルク家の庇護をうけて発展した由緒正しい窯ですが、その出自のわりに、マイセンやウェッジウッド等の他のヨーロッパの陶磁器と比べて、日本での知名度はそれほど高くないように思います。

アウガルテンの魅力は、工房内での独自の粘土の調合と熟成が実現した滑らかで艶やかな白磁と、ハプスブルク家のお膝元でもあった芸術の都ウィーンの華やかな文化の中で生み出された様々なパターンの絵付(いまなお、すべてハンドペイントと言われます)にあります。

今回は、アウガルテンの約300年にも及ぶ波乱万丈の歴史と、各時代における代表的なパターンをご紹介します。

 

デュ・パキエ時代

1709年に、神聖ローマ帝国の一領主であったザクセン選帝侯アウグスト2世のもとで、マイセンがヨーロッパで初めて硬質磁器の製造に成功します。その磁器は「白い金」とも呼ばれ、金と同等の価値を持つほどに貴重なものとされました。

遅れることおよそ10年。1718年、神聖ローマ帝国の皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)は、帝国の宮廷軍事局のエージェントであったオランダ人のクラウディス・イノセンティウス・デュ・パキエ(Claude Innocentius du Paquier)に対して、25年間、オーストリア皇室領地内で磁器の製造・販売を独占する特権を与えます。宮廷軍事局とは、現代なら、アメリカのCIAや、イギリスのMI6にあたる情報機関でしたので、デュ・パキエは、さしずめ敵国から重要な産業情報を盗みだすジェームス・ボンドのような役割であったのかも知れませんね。

しかし、アウガルテンでの磁器製造は、当初、マイセンからエナメル絵師のクリストフ・フンガー(Christoph Hunger)を引き抜いたものの上手く行かず、1719年に、マイセンの職人頭で磁器製造に必要な材料の混合割合に通じていたサミュエル・シュテルツェル(Samuel Stölzel)を高額な報酬で引き抜くことで、ようやくヨーロッパ2番目の硬質磁器の製造に成功します。

この磁器は、豪華な装飾とヨーロッパの風景、狩猟、神話、花々等を精緻に描き、たちまち評判になりますが、製造コストに見合った利益は得られず、引き抜いた職人にも逃げられ、独占製造・販売権の期限切れとともに、工房を帝国へ売却せざるを得なくなります。

プリンス・オイゲン(Prinz Eugen)

出典:アウガルテン公式サイト(プリンス・オイゲン)

カラフル・シノワズリ(Multicoloured Chinoiserie)

出典:アウガルテン日本公式サイト(カラフル・シノワズリ)

 

ロココ時代

工房が帝国へ売却された時期、既に実権はマリア・テレジアに握られていましたが、芸術好きな彼女は、1744年、この工房をハプスブルク家の皇室直属窯の勅許を与え「インペリアル ウィーン磁器工房」とし、この工房でつくられる製品に対して、ハプスブルク家の盾形紋章を商標として利用することを許可します。

この皇室支援で苦境を救われたアウガルテン窯は、マリア・テレジアの狩猟の館であるアウガルテン宮殿の完成記念に食器セットを寄贈し、現在も「マリアテレジア」シリーズとして、アウガルテンを代表する絵柄のひとつとなっています。

また、1744年以降というと、マリア・テレジアにとっては、イギリスの援助を受けてドイツ(プロイセン)と戦ったオーストリア承継戦争(1740-1748)が敗北に終わり、巻き返しをねらって、フランスとの距離を縮めていた時期にあたります。このため、この時期のアウガルテンのデザインには、当時、ルイ15世の愛人として大きな権力をもっていたポンパドゥール夫人のもとで華やかに花開いた、フランスの「ロココ様式」の影響を受けた作品が盛んに製造されました。

マリア・テレジア(Maria Theresia)

出典:アウガルテン公式サイト(マリア・テレジア)

オールド・ウィンナー・ローズ(Old Vienna Rose)

出典:アウガルテン公式サイト(オールド・ウィンナー・ローズ)

 

新古典主義時代

1784年にマリア・テレジアが亡くなると、神聖ローマ帝国の皇帝の座を息子のヨーゼフ2世が引き継ぎますが、彼は不採算となっていたアウガルテンを民間に売却しようとして、競売を行います。しかし、買い手が現れなかったため、ユダヤ人の毛織物業者コンラート・フォン・ゾルゲンタール男爵に出資させ、経営も委託することになります。

ゾルゲンタール男爵は、製造年や造形師・絵付師の記入を徹底させ、ウィーン芸術アカデミーで学んだ絵師に切磋琢磨させ、コバルトブルーや金粉を油に溶かして時期に塗るなど新しい技法を発明するなど、より高級路線にシフトすることで、その名声はさらに高まります。

また、この時代は、1748年から始められたイタリア・ポンペイ遺跡の発掘等が契機となって、17世紀の荘厳なバロック様式は「大げさ」、18世紀前半の優美・官能的なロココ様式は「軽薄」と敬遠され、ギリシャ・ローマ時代のシンプルで気品の高い芸術が理想とされた時代のため、製品にも大きな影響を与えています。

インペリアル・ガーデン(Imperial Garden)

出典:アウガルテン日本公式サイト(インペリアル・ガーデン)

クラージュ(Courage)

出典:アウガルテン日本公式サイト(クラージュ)

 

ビーダーマイヤー時代

この時代のヨーロッパは、「王侯・貴族」と「中産市民階級」の勢力のせめぎ合いの中で形づくられます。

具体的には、1789年にフランス革命が勃発し、ルイ16世とマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)が市民に処刑されると、革命の波及を恐れたオーストリア、ドイツ(プロイセン)、ロシア、スペイン、オランダなどの君主制をとっていた周辺国はフランスに対して戦争を仕掛けます。

この時、革命のごたごたで分裂していたフランス国内を強力なリーダーシップでまとめ上げたのが、かの有名なナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)。権力を掌握したナポレオンは、市民層の支持を背景としてヨーロッパ諸国との戦争に勝ち続け、ウィーンを占領されたオーストリアでも、ハプスブルク家は神聖ローマ帝国の皇帝の座を放棄し、オーストリア皇室としてのみ存続することを許されます。

しかし、ナポレオンがロシア遠征に失敗しエルバ島に追放されると、各国の首脳は、ヨーロッパをフランス革命とナポレオン登場前の状態に戻そうとする目的でウィーン会議(1814-15年)を開きますが、参加国は自国に有利な条件を引き出そうと腹の探り合いを続け、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄される始末。結局、ナポレオンがエルバ島を脱出したとの一報で、各国は妥協してウィーン議定書にサインすることになりました。

このような激動の時代にあっても、アウガルテンは時代の流れに柔軟に対応し、かつてないほど多くの優れた作品を生み出していきます。

ナポレオンとオーストリア皇帝フランツ1世の長女マリー・ルイーズとの婚礼の際には大量の注文が工房を潤し、ウィーン会議のために訪れたヨーロッパ各国の王侯・貴族たちからも多くの注文を受け、さらには、急速に勃興した市民階級までもが、祝い事に高級磁器を贈る貴族の習慣をまねるようになり、アウガルテンは隆盛を極めます。

この時代は、フランス革命やナポレオンの台頭で市民社会が急速に成熟する一方、ウィーン会議で再び旧体制の自由のない閉塞的な社会に戻りつつあるという諦めの中で、豪華で理想的なものよりも、簡素で日常的なものに目を向けようとする美術様式がビーダーマイヤー(Biedermeier)と呼ばれ、小花や小さい葉など、上品で控えめなデザインが流行しました。

ビーダーマイヤー(Biedermeier)

出典:アウガルテン公式サイト(ビーダーマイヤー)

 

アール・ヌーボー、アール・デコ時代

ウィーン会議で王制が復活したものの、市民階級が力をつけていく一方で、ハプスブルク家は弱体化していきます。1848年に即位したオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)と皇后エリザベート(1837-1898)は、アウガルテンを支援しようとしたものの、急速な工業化の進展による大量生産の廉価品におされ、工房は経済的に困窮し、1864年には休窯に追い込まれることになります。

この際、皇帝フランツ・ヨーゼフの命令で、同じ帝国内のハンガリーのヘレンドに「ウィンナー・ローズ」の意匠が引き継がれ、それまでアウガルテンの顧客であった貴族たちも、こぞってヘレンドへ注文し始めます。このため、ヘレンドには、いまなおアウガルテンと良く似た意匠が多くなっています。

その後、第一次世界大戦でオーストリアは敗れ、ハプスブルク家は廃止されることとなりますが、工房は、1924年に、かつてのマリア・テレジアの狩猟の館であったアウガルテン宮殿に移設され、名前も「アウガルテン」として復活します。

この時期には、ヨーゼフ・ホフマン、マイケル・ポウォルニー、フランツ・ホン・ズウェロウ、エナ・ロッテンベルグなどの若いい芸術家たちが、過去の絵柄やデザインなどの伝統を、新しい意匠として復活させるとともに、アール・ヌーボーやアール・デコと呼ばれる、現在にも続く新しい様式を生み出していきます。

ウィンナー・ローズ(Vienna Rose)

出典:アウガルテン公式ホームページ(ウィンナー・ローズ)

メロン・サービス(Melon Service)

出典:アウガルテン公式ホームページ(メロン・サービス)

 

参考資料

アウガルテン公式ホームページ

アウガルテン日本公式ホームページ

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