洋食器とゆかりの深い人物 18世紀

ヨハン・ヨハヒム・ケンドラー|陶磁器による造型を確立!マイセンが誇る天才彫刻家

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マイセン磁器と造型!天才彫刻家ケンドラーの登場

創始者であるアウグスト強王によってその歴史が始まって以来、今なお300年以上に渡り愛され続ける、ドイツが誇る老舗磁器ブランドのマイセン

その始まりから初期の頃、多大な功績を残し、その発展に大貢献した人物として有名なのが「3人のヨハン」と称されることも多い3人の天才たちでした。

マイセン磁器の誕生に直接関わったヨハン・フリードリッヒ・ベトガー、その後、マイセン磁器における色彩の技術を向上させ、これを確立させたヨハン・グレゴリウス・ヘロルト、そして最後に登場するのが、マイセン磁器における造型の分野を著しく発展させ、これを確立したヨハン・ヨハヒム・ケンドラー(Johann joachim Kaendler、17061775)です。

出典:porzellan-stiftung.de(ヨハン・ヨアキム・ケンドラー)

ケンドラーは1706年、ドレスデンに近いザクセンのフィッシュバッハ生まれと伝わり、十代の頃から宮廷彫刻家のベンヤミン・トーメの元に弟子入りして、修行を重ね、宮廷彫刻師となった翌年の1731年、25才頃にマイセンへ招かれました。

当時のマイセンで、造型の分野を牽引していたのが主任型師として活躍していたのが彫刻家キルヒナーという人物で、ケンドラーは彼のアシスタントとして活動することになります。

その後、キルヒナーが去るとケンドラーはその後継者に!1733年、主任型師となりました。そしてこの頃、ある計画を進めようとしていたアウグスト強王により、ケンドラーはこの大仕事に大抜擢されることになります。

出典: Wikipedia (アウグスト2世)

その大仕事とは、これまで磁器に情熱を注ぎ続けてきたアウグスト強王にとって彼の集大成ともいえる…壮大な計画に携わるもの!アウグスト強王が自ら彼を選び、マイセンに招いたともいわれていますから、ここからもケンドラーがいかに才能あふれる若き彫刻家であったことがうかがえます。

ちなみに、ケンドラーがマイセンに招かれたのは、前述したヘロルトがマイセンに来た約10年後のことでした。分野は異なりますが、この時代におけるマイセンの発展を語るのに欠かせない天才二人の登場!この頃、まだ初期のマイセンが彼らの才能に導かれ、前進していくさまがうかがえます。

また、この頃のマイセンでは、様々な分野の優れた芸術家を枠にとらわれることなく積極的に招いていたようで、こうした姿勢が後のマイセンの創造性を高めることにつながっていくことになりました。

 

強王より抜擢された大仕事は磁器づくめの日本宮に磁器でできた動物園!?

当時のヨーロッパで大流行していたという東洋の磁器の熱烈なコレクターであり、ついにはヨーロッパにおいて初めての白磁器を誕生させることにも成功し、強力な庇護者としてマイセン磁器を支え続けてきたアウグスト強王。

そんな彼が晩年、叶えたかった大計画とは、大好きな磁器で埋め尽くされたその名も"日本宮"を築き上げるという壮大ものでした。

出典: skd.museum (現在の日本宮殿は、「ドレスデン民族博物館」になっている)

さらに、当時のヨーロッパでは、世界中から珍しい大型動物を集めるのが流行していて、こうしたエキゾチックな動物たちを飼育するいわば動物園は"メナージュリ"と呼ばれていたそうですが、何とアウグスト強王は磁器でメナージュリを再現してみせようというのです。

ちなみに、当時、異国の地から集めてきた大型動物やそのメナージュリは磁器以上に価値が高かったとも言われるほど珍重されたといい、またアウグスト強王はとりわけアフリカやその地の動物に大変興味を持ち、遠征隊を出してまでその地の動物をドレスデンに集めていたという逸話も残るくらいですから、まさにそんなアウグスト強王らしい夢の計画だったといえるでしょう!

さっそくこの大仕事に取り組むことになったケンドラーでしたが、これには、すでに強王の希望で大型彫刻を手がけていたという先輩キルヒナーの下で学んできた経験も大いに役立ったことでしょう!立体的で力強く、躍動感のある磁器製の大型動物たちを短期間で次々と生み出していきました。

しかし、順風満帆!のはずの計画は、1733年、アウグスト強王が日本宮の完成を待たずに死去したことで急展開これが実現することはありませんでした。

ところで、有田焼で有名な佐賀県の「佐賀県立九州陶磁文化館」では、陶磁器をきっかけに交流を深めたという姉妹都市のドイツ・マイセン市から、有田町へ友好の証に贈られた白磁器の噴水「白磁冠火食鳥噴水」を見ることができます。

出典:佐賀県立九州陶磁文化館(白磁冠火食鳥噴水)

こちらはケンドラーが1731年に手がけた原型を、1985年現在のマイセン磁器製作所が複製したものなのだとか!

ヒクイドリとはダチョウに似た大型の鳥のことで、体重の重さは現生する鳥類の中でダチョウの次といわれる鳥なのだそうで、ほぼ等身大だというその姿は、力強く迫力満点。

日本から遠く離れた地で実現したかもしれなかった"日本宮"にも思いを馳せながらじっくりと鑑賞してみたいものですね!

 

最大の庇護者アウグスト強王を失ったマイセンその後ケンドラーは?!

これまでマイセン磁器を支え続けてきたアウグスト強王が死去してしまい、しかも、彼に代わって跡を継いだ息子アウグスト3はそれほど磁器に関心が無かったようで…等身大の王の騎士像というケンドラーの得意な大型の作品が、新しい君主には認めてもらえず、その製作をあえなく断念したという逸話もあるのだそうです。

出典: Wikipedia (アウグスト3世)

マイセンにとってもケンドラーにとっても不利な状況になるかに見えましたが、やはり天才ケンドラー!ここからはこれまでとはまた一味違った作品を展開させていきます。

アウグスト強王の時代には、彼の希望で主にバロック調の重厚で大きな作品を扱っていたケンドラーでしたが、そのような指示からある意味、自由になったことで、これまでとは違って小物も手がけられるようになり、彼の作風はロココ調の優美でより小さな作品へと方向転換していきました。

また、当時のヨーロッパでは、大広間よりもどちらかというと個人的で小さな空間が好まれるようになりつつあり、こうした空間を飾るための装飾が求められたという時代背景も関係したようです。

この頃、マイセンの最高責任者となっていたのが、ザクセンの財務大臣であったブリュール伯爵という人物で、彼の注文により、ケンドラーはヨハン・フリードリッヒ・ヘベラインと共に1737年から約3年という歳月をかけて「スワンのサーヴィスセット」を製作します。

出典:マイセン日本公式サイト(ブリュール伯爵をモデルにしたマイセンの剣マーク人形)

サーヴィスセットとは、コーヒーや紅茶用のカップからディナー用の皿、ソース入れに至るまで一式そろった食器のセットのことで、ブリュール伯爵の庭園の噴水や、ブリュールという彼の名が「湿地」に由来することにちなみ、水をテーマに製作され、立体的なスワンやガラテア(ギリシャ神話に登場する女性)、魚、貝、カタツムリなどが表現されているのが特徴です。

出典:wikipedia 英語版(Swan service)

2000以上もの品々からなるというこちらの作品!残念ながら全てそろえて見ることはできませんが、現在、その一部をドレスデン陶磁美術館とエルミタージュ美術館が所有しているのだそうです。"ヨーロッパ最高のテーブルセット"と評される彼の代表作の一つとなりました。

また、「猿の楽隊」シリーズも有名で、楽器を演奏する洋装の猿たちというコミカルなこちらの作品は、宮廷に仕える者たちの不満や苦悩を表現したともいわれる一方、宮廷の演奏家たちの下手な演奏をからかったものともいわれていたり、あるいは擬人化された猿が当時の風刺画によく登場していたことから単に流行の表現だったのではとも…いずれととらえても興味深い作品です。

出典:1stdibs(猿の楽隊、19世紀中頃)

そのほかにも、当時流行していたというイタリア喜劇(イタリアン・コメディ)を扱ったもの、貴族たちの宮廷生活から農民や羊飼いの素朴な日常、パリの物売りや庭仕事をする子どもたちなど、幅広いテーマをモチーフに、生き生きとした人間や動物を表現しました。

出典:Wikipedia(コメディアン、1736-1744)

こうした磁器の彫像はフィギュリンと呼ばれ、マイセンはヨーロッパにおけるこうした磁器人形製作の先駆けとなり、ヨーロッパ各地の王侯貴族たちを魅了!宮廷の食卓や室内の飾りとして鑑賞するのが流行となりました。

東洋の磁器を模倣することから始まった磁器製作ですから、当然造型の分野においても、やはり東洋が手本だったという当時のマイセンは、ケンドラーの大活躍により、その作風がヨーロッパらしいマイセン独自のものに華麗に進化!こうして生まれたフィギュリンは今日までマイセンを代表する作品となっています。

その後も、ケンドラーは1775年、68才で亡くなるまで40年以上に渡り、マイセンを支え続けました。

ところで、1764年、ケンドラーが五十代後半の頃、フランスから迎えた彫刻家のミシェル・ヴィクトール・アシエ(Michel Vitor Acier、1736-1799)とは一緒に製作活動をすることもあったようで、ケンドラーの最後の作品もほぼ半分ずつ手がけたのだそうです。

また、この二人による作品は大変希少なため価値が高く、市場に出ることすらめったにないほどなのだとか!

出典:Wikipedia(ミシェル・ヴィクトール・アシエ作)

ケンドラー亡き後、彼の跡を継いだアシエは、ケンドラーを思わせる繊細なロココ調は継承しつつも、新古典主義という新たな時代の流れにも見事に対応し、その才能と実力を発揮して活躍したのだそうです。自ら育てた優秀な後継者ですから、ケンドラーも安心して跡を任せられた!?かもしれませんね!

 

参考資料

マイセン日本公式サイト

キリンホームページ

サントリーホームページ

佐賀県立九州陶磁文化館

Wikipedia

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